「おとうさん」
声が、震える。
胸に浮かぶ感情がなんなのか、わたしにもわからない。ただ、目の前にいる彼が好きだと、愛しくて仕方ないのだと、心臓ばかりがそうやって早鐘を打つ。泣いてしまいたい。けれど泣きたいのはきっと彼の方だから、とわたしは涙を押し殺す。
手が伸びてきて、頬に触れた。そのまま愛しそうに輪郭をなぞられる。どうして、どうして優しくするんだ、わたしなんかに、どうして。
「おとうさん、……」
「どうした」
「おとうさん、おとうさん……」
情けのない声しか出せなくなって、けれど彼は変わらず優しいから頬を撫でる手を離さない。そのまま片手で包まれて、彼の顔が近づく。息が絡まる。怯えるわたしに、彼は少し笑った。
「……怖がるな。だいじょうぶ」
「だって」
「だいじょうぶだって」
もう片方の手で反対の頬も包まれて、視線が彼に向けられる。目線の先で、苦笑した彼の顔とぶつかった。苦笑しているのに、その顔は本当に愛しくてたまらないという顔で、その顔のせいでまた何かの感情が湧き上がった。すきだという気持ちと、どこか悲しい気持ちがぐしゃぐしゃになって、こらえていた涙がたまらずこぼれた。彼はそれを見ると、頬を包んだままの手の、大きな親指でそれをぬぐった。
「どうして泣くの」
「だって、わたし、おとうさんのこと」
「いいじゃないか、どうして」
「親子なんだよ、わたしたち」
「……そうだな」
「……どうして、こんなにすきになっちゃったんだろう」
「ゆみこ」
「おとうさんのこと、傷つけたくなかったのに」
ぼろぼろと涙がこぼれてとまらなくなっていく、声がまともに出せずにしゃくり声に変わっていく。それでも、涙でよく見えない視界の中に、必死で彼を探す。彼はそんなわたしに答えるように涙を拭う。涙の向こうで、彼はずっと笑っている。
「傷ついてなんかないさ」
「でも、嫌でしょ?」
「嫌なもんか、娘が、泣きながらすきだなんて言ってくれて、おれは幸せだよ」
「すき、すきなんだよ、親としてじゃないの、おとうさんのことが」
「わかってるよ、由美子」
彼は、わたしの父親は、そう言うと強くわたしを抱いた。きつく、離すまいとするように後頭部に手が触れる。あんまり強く抱きしめられて、思わず心臓が高鳴った。ああ、だめだ、だめだ、と心の中で祈れば祈るほど、父親はわたしを抱きしめる。
「……由美子、おれはね」
父親が、耳元で囁く。
「由美子がちゃんとすきだよ。親としても、女としても、おまえのことがすきだ。変だよなぁ、あの日再会したときに、つい思っちまったんだよ、おまえをこのまま、攫っちまおうって」
父親の吐息が耳元で揺れる。笑っている。くすぐったくて、けれど、それすらも幸せだった。
「……攫っちまった。おまえが、あんまり欲しかったから」
そっと離れた父親が、腕の中にわたしを置いたままで、わたしを見下ろす。その目に、少しの欲が混ざっていることに気づく。さっきまでの父親らしい表情が少し薄れていて、その中に知らない男の人がいた。
ちいさく心臓が鳴る。また、なんとも言えない感情が胸に湧き上がる。
ああ、すきだ、と思った。
この知らない男が、確かにわたしの父親で、わたしの前でこの顔を見せることが、ひどく心を締め付けてたまらなかった。
「良かったろ、攫って」
男が笑う。少しだけいじわるに、それでも愛しそうな表情がどこか残ったまま。
「……うん、攫われて、よかった」
「なら、泣くな。変な罪悪感なんて、持たなくていいから」
彼は優しくわたしの頬を撫で続ける。そうやって安心させようとしていることが伝わる。それも愛だ、とふと気づいて、少しだけ笑うと、おっ、と彼がわざとらしく目を丸くした。
「……やっと笑った」
「え?」
「かわいい」
頬をまた両手で包まれる。彼の顔が、音もなく近づく。
「かわいい」
低い低い、掠れた声で、また男はそう言う。
そうして、その言葉ごと、わたしの唇に噛み付いた。
驚いて目を閉じる間もなかった。彼の瞳が目の前にある。夜の海のような青い瞳。わたしと同じ色なのに、放っている光から知らない色が見える。誘うようにそれが揺れた。閉じろ、と言われている気がして、瞼を閉じれば、それを合図に舌先が入れられた。尋ねるように、その舌が遠慮がちに絡まる。おそるおそる、男の背に手を回し、それに応えようとすれば、彼はまた強く私を抱く。そうして、その舌で優しくわたしを壊していく。
男に、父親に、溺れていく。
沈められて、殺される。
その、獣のような衝動が、少し怖い。けれど、同じくらい、欲しくてたまらない。
唇が離れる。本当に短い間だったのに、ひどく長く感じられたそれは、わたしの心臓に強く絡みついた。そのまま心臓が止まったかのような感覚に襲われ、同時に快楽が体中に広がる。なんだか溶けてしまいそうな感覚。もっと、と言う代わりに、おとうさん、と名を呼ぶ。彼が、また笑う。
「おまえ、いつからそんな顔するようになったの」
「……え?」
「やらしいな」
「なに?」
「……おれ以外の前で、そういう顔すんなよ」
衝動を押さえ込むように、彼は笑いながらわたしの額に額を合わせる。おれ、という言い方にすら胸が鳴る。前は、わたしの前で絶対に自分を「おれ」とは言わなかったし、もっと口調もやわらかかった。あれが嘘だと思っているわけではない。あのときはあのときでわたしを愛してくれていた。今は、随分と形が変わったけれど。
「由美子」
愛しそうな声。
呪いみたいな声。
「すきだよ」
嗚呼。
「……わたしも」
夜が、深い。
どうにかして、彼のもっと奥の、その殺意みたいな衝動が、ほしい。
今は絶対にまだその一線を越えようとしない彼の、その抑えている何かを、どうにかして壊してしまいたい。
けれど、毎晩膨れ上がるその感情を、父親を悲しませたくないからと、それだけで今日もわたしは隠す。
どこかで、彼も同じことを思っていればいいのにと、強く願いながら。
声が、震える。
胸に浮かぶ感情がなんなのか、わたしにもわからない。ただ、目の前にいる彼が好きだと、愛しくて仕方ないのだと、心臓ばかりがそうやって早鐘を打つ。泣いてしまいたい。けれど泣きたいのはきっと彼の方だから、とわたしは涙を押し殺す。
手が伸びてきて、頬に触れた。そのまま愛しそうに輪郭をなぞられる。どうして、どうして優しくするんだ、わたしなんかに、どうして。
「おとうさん、……」
「どうした」
「おとうさん、おとうさん……」
情けのない声しか出せなくなって、けれど彼は変わらず優しいから頬を撫でる手を離さない。そのまま片手で包まれて、彼の顔が近づく。息が絡まる。怯えるわたしに、彼は少し笑った。
「……怖がるな。だいじょうぶ」
「だって」
「だいじょうぶだって」
もう片方の手で反対の頬も包まれて、視線が彼に向けられる。目線の先で、苦笑した彼の顔とぶつかった。苦笑しているのに、その顔は本当に愛しくてたまらないという顔で、その顔のせいでまた何かの感情が湧き上がった。すきだという気持ちと、どこか悲しい気持ちがぐしゃぐしゃになって、こらえていた涙がたまらずこぼれた。彼はそれを見ると、頬を包んだままの手の、大きな親指でそれをぬぐった。
「どうして泣くの」
「だって、わたし、おとうさんのこと」
「いいじゃないか、どうして」
「親子なんだよ、わたしたち」
「……そうだな」
「……どうして、こんなにすきになっちゃったんだろう」
「ゆみこ」
「おとうさんのこと、傷つけたくなかったのに」
ぼろぼろと涙がこぼれてとまらなくなっていく、声がまともに出せずにしゃくり声に変わっていく。それでも、涙でよく見えない視界の中に、必死で彼を探す。彼はそんなわたしに答えるように涙を拭う。涙の向こうで、彼はずっと笑っている。
「傷ついてなんかないさ」
「でも、嫌でしょ?」
「嫌なもんか、娘が、泣きながらすきだなんて言ってくれて、おれは幸せだよ」
「すき、すきなんだよ、親としてじゃないの、おとうさんのことが」
「わかってるよ、由美子」
彼は、わたしの父親は、そう言うと強くわたしを抱いた。きつく、離すまいとするように後頭部に手が触れる。あんまり強く抱きしめられて、思わず心臓が高鳴った。ああ、だめだ、だめだ、と心の中で祈れば祈るほど、父親はわたしを抱きしめる。
「……由美子、おれはね」
父親が、耳元で囁く。
「由美子がちゃんとすきだよ。親としても、女としても、おまえのことがすきだ。変だよなぁ、あの日再会したときに、つい思っちまったんだよ、おまえをこのまま、攫っちまおうって」
父親の吐息が耳元で揺れる。笑っている。くすぐったくて、けれど、それすらも幸せだった。
「……攫っちまった。おまえが、あんまり欲しかったから」
そっと離れた父親が、腕の中にわたしを置いたままで、わたしを見下ろす。その目に、少しの欲が混ざっていることに気づく。さっきまでの父親らしい表情が少し薄れていて、その中に知らない男の人がいた。
ちいさく心臓が鳴る。また、なんとも言えない感情が胸に湧き上がる。
ああ、すきだ、と思った。
この知らない男が、確かにわたしの父親で、わたしの前でこの顔を見せることが、ひどく心を締め付けてたまらなかった。
「良かったろ、攫って」
男が笑う。少しだけいじわるに、それでも愛しそうな表情がどこか残ったまま。
「……うん、攫われて、よかった」
「なら、泣くな。変な罪悪感なんて、持たなくていいから」
彼は優しくわたしの頬を撫で続ける。そうやって安心させようとしていることが伝わる。それも愛だ、とふと気づいて、少しだけ笑うと、おっ、と彼がわざとらしく目を丸くした。
「……やっと笑った」
「え?」
「かわいい」
頬をまた両手で包まれる。彼の顔が、音もなく近づく。
「かわいい」
低い低い、掠れた声で、また男はそう言う。
そうして、その言葉ごと、わたしの唇に噛み付いた。
驚いて目を閉じる間もなかった。彼の瞳が目の前にある。夜の海のような青い瞳。わたしと同じ色なのに、放っている光から知らない色が見える。誘うようにそれが揺れた。閉じろ、と言われている気がして、瞼を閉じれば、それを合図に舌先が入れられた。尋ねるように、その舌が遠慮がちに絡まる。おそるおそる、男の背に手を回し、それに応えようとすれば、彼はまた強く私を抱く。そうして、その舌で優しくわたしを壊していく。
男に、父親に、溺れていく。
沈められて、殺される。
その、獣のような衝動が、少し怖い。けれど、同じくらい、欲しくてたまらない。
唇が離れる。本当に短い間だったのに、ひどく長く感じられたそれは、わたしの心臓に強く絡みついた。そのまま心臓が止まったかのような感覚に襲われ、同時に快楽が体中に広がる。なんだか溶けてしまいそうな感覚。もっと、と言う代わりに、おとうさん、と名を呼ぶ。彼が、また笑う。
「おまえ、いつからそんな顔するようになったの」
「……え?」
「やらしいな」
「なに?」
「……おれ以外の前で、そういう顔すんなよ」
衝動を押さえ込むように、彼は笑いながらわたしの額に額を合わせる。おれ、という言い方にすら胸が鳴る。前は、わたしの前で絶対に自分を「おれ」とは言わなかったし、もっと口調もやわらかかった。あれが嘘だと思っているわけではない。あのときはあのときでわたしを愛してくれていた。今は、随分と形が変わったけれど。
「由美子」
愛しそうな声。
呪いみたいな声。
「すきだよ」
嗚呼。
「……わたしも」
夜が、深い。
どうにかして、彼のもっと奥の、その殺意みたいな衝動が、ほしい。
今は絶対にまだその一線を越えようとしない彼の、その抑えている何かを、どうにかして壊してしまいたい。
けれど、毎晩膨れ上がるその感情を、父親を悲しませたくないからと、それだけで今日もわたしは隠す。
どこかで、彼も同じことを思っていればいいのにと、強く願いながら。